当時の過激な作業  第十二話

1998年から1999年当時の話

以前の足だったCD50も焼き付き終了していたので、普段の足はこの当時XSしかなかった。

家からガレージまでXSで自走し、ガレージに入ったら最後、なんと作業が完了しXSが走れるようにならない限り家には帰れなかったのだ。

夕方頃から始めた作業は徹夜になり、そのまま作業し続けて朝の通勤に間に合わせて、XSに乗って仕事に出て行くことも何度かあった。とにかく一人での未経験の作業がどれほど大変だったことか。

常に創意工夫を要求され、何度も得意のパワープレイで乗り切ったりしたんだよ。10&11話で書いたようにエンジン載せ変えも半日勝負だった。

家で作業できない者にとって、載せ変え用のエンジンを入手し、それを整備しておいてから ある日突然、エンジン換装に専念するというのは常套手段であろう。

巨大な鉄パイプを拾ってきて特殊工具にしたり、駐車場の渡り板(分厚い鉄板)の上でパーツを ガンガンぶっ叩いて板金修正したり、もう屋外はそのまま無限の作業場だったのだ。

車の鉄ホイールを拾ってきて万力台を作ったり、家庭ごみのテーブルの天板を拾って作業台にしたり、 フリマに行くととにかくヘビーデューティーな工具を安く買ってきたりしていろいろな可能性を 探っていった。ほとんどが駄目な工具だったのは言うまでも無い。
いまだに思うけど万力は巨大なのがいいね!やっぱり。

とにかく作業は過酷だったなー、無知が故の苦労、金欠が故の苦労いろいろあったけどね、ほんとに。 自力でエンジンの整備まで完了できて、ほっとしたよ・・・

だからといってこれで作業が終わるわけは全く無いのだった・・・

当時の過激な作業  第十二話

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